2016年5月18日水曜日

小池啓仁エピソード

小池啓仁にまつわるエピソードを4つご紹介します。

エピソード1(幼稚園時代)

幼稚園時代の彼は、幼稚園に送って行くと、『嫌だ嫌だ』と良く泣いていた幼児でした。
彼の友達は、園長先生で、よく教室を抜け出し、園長室へ遊びに行っていたとのことです。
ただし、彼は園長先生を認識していなく、彼にとっては、ただのやさしいお爺ちゃんでした。
お遊戯会では、まじめに演技をしているのに、観客が笑うので、『笑うんじゃない!』と連呼して、余計に笑いを取っていた・・・今にして思えばこの時からステージパフォーマーだったんですね。これが!

エピソード2(小学校時代)

彼はミニバスケットのチームに入っており、なんと東京代表として全国大会に出場し、全国3位になったのです。
全国大会出場が決まると、東京都から強化コーチが来て、厳しい練習をするのですが、彼だけは一日も休みませんでした。
彼は大会中1点も決められず、順々決勝でも1クウォーターで交代させられてしまいました。しかし、終わり1分前の4クウォーター目で、厳しいコーチから声が係り、再度コートへ、そして相手の反則からフリースローで1点を決めたのです。まさに試合終了10秒前の奇跡の1点でした。後から聞いた話しでは、練習を一日も休まなかったご褒美で、4クウォーター目に出場させたとのことでした。

エピソード3(中学校時代)

そのままバスケット部に入った彼は、都大会出場寸前でいつも負けていました。
全国3位のメンバーがそのまま中学生になったチームなので、結構強いのですが、中学校の先生がバスケ素人監督だったので勝てなかったのだと思います。いつも都大会出場寸前で負け、挫折を味わい、泣き崩れる選手達が印象的でした。

エピソード4(高校時代)

バスケバカの彼は、都内のバスケットが強い高校に進学しました。そこには、バスケが上手い子が集まっており、なかなか一軍に上がれず、2軍のエースとして活躍していました。それが認められ、やっと一軍に上がれることになった寸前、なんと両足を疲労骨折してしまい、2軍に逆戻り・・・2度目の挫折を味わいました。

エンディング

そして、高校時代からギターを独学で始め、修学旅行にギターを持って行き、ガイドさん達を歌で感動させたのが、シンガーソングライターになる切っ掛けになったようです。
私が思うには、彼には2つの才能があると思います。
一つは音感。もう一つは記憶力です。

この才能は、母親ゆずりで、譜面を見ず2~3時間歌い続けても、メロディも歌詞も忘れない記憶力・・・天才かも(親バカです)
ちなみに、父親の私は、音感も記憶力も皆無に等しい・・・
ということで、魂のシンガーソングライター『小池啓仁』をよろしくお願い致します!!

尚、エピソード2の詳細は、過去に書いています。

追記

家内に本文をチェックしてもらったら、新たな真実が出てきました。
エピソード2で、厳しい練習を一度も休まなかったのは、母親の叱咤があったのです。
当時、彼はいくら練習しても上手くならないからと、最後の日を休むと母親に言いました。
母親は、こんなにお世話になっていって、最後にお礼の挨拶をしないでどうする・・・と彼を叱咤激励をして送り出しました・・・とのことでした。

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